八尾の神社仏閣・訪問記
<杉原神社>
長谷川 洌
■一千数百年の歴史
「杉原神社」(八尾町黒田)は富山県の中央部・呉羽丘陵を含むかつての“婦負(ねい)郡”の南部に位置し、旧八尾町杉原地域の〝杉原〞と言う地名とともに、少なくとも一千数百年の歴史をもつ延喜式内の神社であります。

「杉原神社」の主祭神は、この婦負野の一角である杉原野を開いた杉原彦命(スギハラノミコト)であります。

「杉原神社」は、この黒田の地の他に、近くに隣接して旧婦中町の〝浜ノ子〞と〝田屋〞にもあります。これらの三社は地図上南北に一列に並んでおり、その北の方角には旧神通川の河口である現在の四方地区に向き、南は八尾町背後に鎮座する夫婦山(旧名伊頭部山)に向いております。

神社の詳しい由緒については、当社の杉原秀圭宮司にお聞きしましたところ、延喜式内社の由来記には幾種類かあり、其々の杉原神社の祭神にも諸説があつて、この三社の関係については、確かな謂れは伝えられていないとのことでした。
この黒田の杉原神社に関する由緒の一つとして、奈良時代の聖武天皇の天平2年(730)にこの地の郷民が霊験あらたかとして祀つてきた郷の明神が、〝越の国社〞として勅定を受けたものであつて、その祭神は木祖神「久久能神(クグノカミ)」を奉斉しており、これは元々杉の大樹を神として崇めてきた「辟田の神(サキタノカミ)」と称する祠であつた、と伝えているとのことです。
また二つ目の説として、文武天皇の大宝2年(702)6月の創建とされ、その祭神はこの杉原野の開拓神である杉原神と木祖神とを合せて杉原野守護神として、郷民が郷の明神として奉斉してきたもので、従五位下が授けられたとも伝えていること。
さらに別書には杉原野に石窟を作つて創設した社であつて、天平5年(733)に勅令により正一位が授かつたとも伝えているとのことでした。
以上の三説には式内社としての一致をみませんが、元来は杉原神社の祭神は古代の杉原野に自生していた杉の巨木に宿つた神であつたようである、との宮司の説明でありました。

■婦負(ねい・めひ)野の由来
なお延喜式内社の由来書とは別に、富山県に伝わる江戸時代に書かれた『喚起泉達録』(野崎伝助撰述)によれば、黒田の杉原神社の祭神は「辟田 産美命(サキタワカムスビミコト)」であり、田屋の祭神は「罔象女命(ミズハノメノミコト)」であり、両神は夫婦の神様であつてこの杉原野の開拓神でもあつたと書き伝えています。

また、この地域の〞婦負(ネイ)〟という名の起こりは、この夫婦神の杉原野開拓にまつわる物語として残されており、それは開拓時に河川の氾濫または潟象が大津波の来襲の折り女神が大きな波にさらわれ、それを男神が救いあげ、黒田から田屋まで女神を肩に負い運んだことから、このあたりを婦負野と呼ぶようになつたと伝えているとのことです。