特集3
「わくわくする懐かしさ『対話としての おわら』」
中山 一郎

平成18年8月8日、「わくわくする懐かしさ 『対話としての おわら』」と題した発見塾が開かれました。お話いただいたのは、音楽音響学の第一人者で、音楽や歌が人に感動を与えるとはどういうことか、を探求されてきた中山一郎・大阪芸術大学教授です。
「風の盆」のあり方の核心を突いたお話で、これほど深く踏み込んだことを面と向かって外部の人から言われたことがありません。おわらに関心のある皆様に、是非、お読みいただきたい内容です。
どのような反応があるか「わくわく」します。八尾のというより、日本が抱えている大きな問題が見えてくるようです。
(司会あいさつ)
中山先生は、平成8年から毎年、年に何回もこっそりお見えになっています。どういうわけか八尾の「おわら」が大好きだと、その「おわら」の声の出し方が独特だということで、お仕事としても研究なさっていまして、18枚のCDにまとめられた『日本語を歌・唄・謡う』の中にも、八尾の「おわら節」を入れていただきました。「おわら」もお好きですがお酒も大好きで、仲良くしていただいています。
その中で、「八尾の『おわら』は、最近見せる『おわら』だ。ちょっと媚びているのではないか。もっと原点に戻らなければならない」と、お叱りを受けたことがありまして、おわらに関わるものとしては反省をしています。
もう少し原点に戻って、「おわら」を後世にしっかりと伝えていくことが私たちの仕事ではないかと思って、町の皆さんとともに、「おわら」をより深い、しっかりしたものにしていきたいと考えているところです。
今日は多分そういう面からも、先生のお話を聞かせていただけると思っております。
■「おわら」への危機感
私が初めて八尾に入りましたのが、1996年の9月2日でした。金沢育ちの私は、実はこの50年間、来たい、来たいと思っていたのですが、敷居が高すぎて来られなかった、というのが正直なところです。
96年から10年間、私の場合は、かなり特殊なつきあいかたをさせていただいたのではないかと思います。
本当に失礼な話ですが、私がいちばん関心があるのは、「おわら」を歌っていらっしゃるとき、弾いていらっしゃるとき、踊っていらっしゃるときに、皆さんは一体何を考えておいでなのか、これが今もって一番の関心事です。
また、それ以上に、(おわらの本番の3日間を除いた)残りの362日を、何をして暮らしていらっしゃるのか、何を考えていらっしゃるのかということが、今でもここへ通わせていただく一番の動機です。
一体、歌うとはどういうことなのか、弾くということ、踊るということはどういうことなのか、にもの凄く関心があるわけです。
一方では、ある意味の危機感も感じています。あまりにも観光化してはいないか、ということです。
そこで、外から見て何か言えるのではないか、言い換えれば、「おわら」を相対化できるのではないかと考えたわけです。
まず、私にとってお祭りというのは、そもそもどういうものなのか、こうあったらいいのにということから、「おわら」というものと、私が理想とする祭りとの対比化について、お話します。
もう一つは、歌や音楽や物を表現するということは、どういうことなのか、弾いている人も歌っている人も踊っている人も、「おわら」というものと相対(あいたい)しているのではないか・・・。
この二つをまとめたような格好で、私にとっての「おわら」とはどういうものなのかをお話しするために、まず二つのビデオをご覧いただいて、さらにおわらが抱えている問題もお話しできたらと思います。
■1)「河内音頭」発祥の地の「すがすがしさ」
まず最初に、大阪は河内地方の「河内音頭」です。
これは1998年8月24日、8年前のちょうど今ごろの夜、常光寺という「河内音頭」発祥の碑が建っている、かなり有名なお寺でのものです。そこで盆踊りをやるのですが、「ただひたすら『己』のためだけに踊る」という、そういう意味でのすがすがしさがあります。
それは、「『外』を向いていない」「『祭り』とは?」という私の考えの原点が、実はこのあたりにあるということで見ていただいています。
ご覧のように、見ている人も地元の人なら、当然、踊っている人も地元の人ですので、だれもカメラなど構える人はいないわけで、かなり有名なお寺なのですが、彼らだけ、地元の人だけの、こういうものが保障されている場です。
はじまって1時間くらいたつとさすがに大勢帰ってしまい、割とスカスカの状態になりますが、広い空間を使って、踊る人にとっての天国になります。
そして、踊りはこのようにして終わるわけですが、踊りは、うまい人も下手な人もいます。
一番いいのは、うまい人も下手な人も、誰のためにやっているのでもない、自分のためだけに踊っているのが、それが非常にすがすがしいというか、結局見せ物にはなっていないところが気に入っています。
その場そのものが見せたりするのではなくて、自分たちが楽しむという、これは8年前の映像ですが、今もおそらく脈々と続いていることでしょう。
■2)琵琶盲僧の釈文の「わくわくするような“懐かしさ”」
もう1本のビデオ。琵琶盲僧の釈文(しゃくもん:仏教の経文を解釈した歌・祈り)を見てもらいます。
これは、琵琶を弾くお坊さんを、音と映像に納めて、平成17年に文化庁の芸術祭、レコード部門の大賞を取られたということですが、どのような方なのでしょうか?
九州・延岡の天台宗のお寺、浄満寺のお坊さんで永田法順さんという方です。琵琶を弾きながら壮大なスケールの「釈文」というものを語られる、現在ただ一人の琵琶盲僧で、おそらく最後の一人ということになるのでしょう。
高千穂鉄道の二ヶ所の鉄橋が台風で落ちましたので、バスとタクシーを乗り継いで、このような里山の原風景のようなところを歩いていらっしゃいます。


芸術祭で大賞を取った、冊子・CD・DVDがセットになっている全集『日向の琵琶盲僧 永田法順』。「声の存在感が凄いのです。私は法順さんの釈文を聴いた瞬間、ビリビリきました」とは、企画制作された中山一郎先生の言。確かに圧倒される声の力に、魂がビリビリと揺すられます。
法順さんお一人で檀家さんは970軒もありますから、「浄満さん」(法順さんのこと)が来てくださる日はせいぜいで年に1回、それは檀家さんにとってはハレの日なのです。釈文は、歌といえば歌、音楽といえば音楽なのですが、むしろ祈りとでもいいましょうか、祀(まつ)りに近いような感じです。
目が見えないとはとても信じられない器用さで、白紙でお払いの道具(御幣;ごへい)をつくり、いわゆるだみ声とでもいうような、地の底からひびくような声で釈文を語ります。
もったいないことに、これだけのものが聞けるのに留守の家がよくありました。鍵がかかっていてお布施が置いてあるだけです。
浄満さんにそのことを聞きますと、「いやいや、若い人は働きに行っているんやから。私が祈るのは個人のために祈るのではなく、家屋敷のために、またカマドのために祈るのだから」と、淡々とやられます。
おそらく法順さんにとっては、毎日の檀家廻り、またお払いという仕事を淡々とやっているにすぎないのだと思います。
一方、檀家さんは、「遠い先祖が帰ってきたようだ」と必ず皆さんおっしゃります。これはどういう意味なのか。何軒かの檀家の撮影に行きながら私なりに考えたところ、それはたぶん「わくわくするような“懐かしさ”」なのです。
普通、懐かしさというと、昔体験したようなことを懐かしく思う、典型的なのは『うさぎ追いしかの山』だと思うのですが、それとは違う何か、「わくわくする」というのが私の今のキーワードです。
まだ出会ったことのないものに対しての気持ち、すなわち過去・現在・未来と、おそらく、連綿と続いていくストーリーというか、先祖から続く歴史を思い浮かべながら、その中に身を置くということに対しての「わくわく」するような懐かしさ。
記録には8年間を費やしましたが、同行の友人たちが、今でも法順さんの声がまつわりついている、ふっと横を見るとここに神様がいるのではないか、平生はそんなに信心深い人ではないのに、「法順さんがここに、神様がここに」という印象を述べてくれたことは、私にとってはとても嬉しいことでした。
やはり声の力というものは凄いもので、法順さんは、現在の稀(まれ)なるシャーマンだと思います。その力で、「うた」というものはこういうものだと、すなわち自分ながらの個人史というものを、また今思っている今の生活というものをくっきりと浮かび上がらせてくれるものとしてご紹介した次第です。
おそらく檀家の皆さんは自分自身と対話をやっているのではないか思うのです。法順さんの釈文を聞いていると、結局「自分は何処から来て、何処へ行くのか…?」、そんなことを考えざるを得ないのです。
それが私たちを実にいい気持ちにさせて、もうほとんどトランス状態になるのだと思います。
■「おわら」もまた、自らと対話するための媒体
そのトランス状態へ誘導するものが、法順さんの釈文であり先ほどの河内音頭であるということですね。そして、「おわら」もそうだということになるのでしょうか。
そうだと思います。1998年、「風の盆」の明け方の町流しを映像で見てもらいます。ごらんのように、昔の公民館の横の階段に陣取った方々が町流しをしてきた八尾の人たちを迎えているわけですが、だれ一人としてフラッシュもたかない、ひたすら帰りを待っている。
この光景をみると、先ほどの「河内音頭」は動でしたが、「おわら」のは静。
でも、今流している人、見ている人はほとんど同じ状態ではないかと思います。自分自身のことしか考えることがない、自分との対話という状態にしてしまうすごい力を、「おわら」は持っているということだろうと思います。
先ほどの永田法順さんを迎える檀家の人たちも、ほとんど同じ心の動きをしているのではないかと思います。
結局、だれに見せるものでもなくて、しかもくっきりとしたイメージが歌なり踊りなりを通して、今度は見ているほうに伝わってきて、お互いに個々の具体的なイメージが違うのかもしれませんが、何か根本のところでは、おそらく発するほうも受けとるほうも、同じことを考えているのではないか、と思うわけです。
言い換えると、私はこの10年間「おわら」に接するたびに、「河内音頭」に接するたびに、それから法順さんに接するたびに、ずっと同じ意識で臨ませていただいたということになるわけです。
なぜ、これほどまでに「風の盆」が人気で、多くの人が訪れるのか不思議に思ったりもしていましたが、観光客の方々は必ずしもおわらそのものを見たり聞いたりしているわけではないということですね。
「おわら」を通して自分の世界を見ている、「おわら」は、その人にとって見たいもの又は聞きたいものを見たり聞いたりするための、単なる媒体でしかないわけです。
されど、「おわら」はそのための最適な媒体だということで、こんなにも多くの人が訪れるということになるのでしょうか?
こんなにも多くの人が、自分の世界を見失ってしまった・・・ということなのでしょうか?
自分の住んでいるところによい媒体がなくなっているから、いろいろな場所へ探し求めて出かけるようになるのか?
やはり、祭りに類する行事においては、発する者と受ける者が、ある対話ができるようなものであってほしいし、「うた」であってほしい、またあるべきと念じています。
昔は、日本中に祭りがあった。今は、いろいろな問題からできなくなったところがたくさんあるのでしょう。
また、祭りが観光になった場合、観光客の問題があると思います。
結局、よそ者というのは実にズケズケとしたものであり、地元の人たちのお祭りを見せていただけるなら密(ひそ)やかに見せていただく、というのが当たり前のことなのですが、それが全くダメになっていると思います。
■何のために、誰のための「おわら」なのか──対話の基本に戻って考える
実は今現在の「おわら」が心配というと変ですが、私が子供の頃の「おわら」というと、あまり見ている人はいなかったのです。
ジーパンをはいていようが、下駄ばきであろうが、サンダルであろうが、みんな見よう見まねで輪の中に入って踊っていました。
それが今は踊り子が踊りづらいくらいに、大人数の人が周りを囲む。そうすると、もともとは町の人たちにとって自分たちが踊る「おわら」だったのが、今度は周りの人がいることによって、踊らない人たちは見る「おわら」に変わってきたのです。
それならばまだ、人間が多くなったということで分かるのですが、心配なことの一つは、自分たちの「おわら」だったのが、今度は見せる「おわら」に変わる。つまり、自分の「おわら」→見る「おわら」→見せる「おわら」へ。この3段飛びが、今「おわら」に来ているのではないかと常々思うのです。
見せる「おわら」という形になると、今度はショーになるので、そのあたりの現実を私は心配しているのですが。
見せる「おわら」というのは、実はもう限界にきているのではないでしょうか。
どうでしょうか。あれ以上やると興行師が仕組んで、もっときれいに流れるように照明もしてということで、まさかそこまでは許されないだろうと、おのずから歯止めがかかるのではないかと思います。
だから、もうあれで完成形だというところから、次はどういうようにという、見せる「おわら」の中でもどういうように、ということが、おそらく問われてくるのでしょう。
しかし現実には財政の、お金の問題が当然あると思います。ですけれども、一体どれだけのお金を3日間で町がもうけるのかといったら、大したことはないのではないかという気がします。
それに関連しての、行政の町おこしの問題は当たり前なのですが、やはり基本は地元の人のためのお祭りなのですから、地元の人が遠慮したら絶対にいけない、遠慮しなくてもいいようなことをするのが行政なので、それが私はどうも逆転しているのではないかと思います。
町おこしのため、村おこしのためだったら、何か協力しなくてはいけないというのが私はあまり好きではないので・・・。
それから、「伝統」という問題があると思います。伝統というものは、変わってこそ伝統なのであり、変わらない伝統というものは全くあり得ません。
先ほどご紹介いただいた、『日本語を歌・唄・謡う』で、78人の人が同じ「/かえで色づく山の朝は/」という短いフレーズを“うたい分け”てくれたのですが、そのときにいちばん感じたのは、お上手な人ほど、伝統ということを絶対に言わないのです。
何を彼らが示してくれたかというと、この歌詞を使って、一言で言うと自ら“格闘”をするわけです。
生まれて初めて無響室という全く響かない部屋に閉じ込められて、そんな宿題を課されるのは、恐らく人間国宝であろうと生まれて初めてなわけですが、彼らはいかに自分を表現しようかという、そのことしか頭になくなってきます。
そうすると、伝統を守るというようなことをだれ一人も想わないのです。
このことに接して私は偉いな、と思いました。これは個人の技量のことですが、町としても守るべきを守りつつ、どのように新しいものを取り込んでいくかという、こういう伝統の問題です。
それから少子化の問題など本当にいろいろありますが、最後のところはきれいごとではなく、何のために、だれのための「おわら」かということを、原点に返って考えなければということを今日はお話しさせていただきました。
変わるときというのは、絶対に変わります。もうそろそろ変わらないことには、私ももう嫌になってしまうという、飽和点のようなところに来ているのではないでしょうか。
皆さんがたの方がはるかに対策を考えておられるはずです。ただ、外から眺めてほかのものと比較することによって、相対化できるのではというように申しました。
そこから、おのずから次の対策が出るのではないかという意味で、今日は敢えてたくさんの映像を見ていただきました。
やる方が楽しめれば、見るほうは必ず楽しめます。
とても大切なご指摘をありがとうございました。私たちも本質を踏まえて、変わるために基本のところから考えて行きたいと思います。
最後に蛇足かもしれませんが、おわらはお祭りではなく町民の行事の一つなのですが、いわゆる祭りというものはその地域特有のもので、共通の信仰に基づいているものです。
心、気持ちのことですから、その地域にとってはあたりまえに大切にしていることが、よその者にはわからないということはよくあることです。
けれども、自分にも大切なものがあれば人の気持ちも想像できるはずです。大切なものを持たない人が増えているのでしょうか。
人の気持ちを思いやるという、昔の人が当然にやってきたことを、今、できる人がとても少なくなっていると感じさせられるお話でもありました。