八尾ふるさと発見塾:特集2

特集2

「21世紀の八尾、この町のかたち~八尾の活性化を考える~」

中尾 哲雄


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 ふるさとの八尾町に今も住み続け、何とか町に元気を取り戻そうと頑張っている人。さまざまな理由で八尾町を去らざるを得なかったけれど、今も八尾町のことが気になってならない人。逆に、八尾町に移住して八尾のいろいろなことに気づいた人。

 そして、直接係わり合いはないけれど、八尾町が大好きな人。さまざまな状況の64人が、平成18年10月10日の夜、八尾町東町にあるおわら資料館に集まりました。

 富山県を代表する経済人、「インテックホールディングス」会長兼社長である 中尾哲雄さんの話を聞きたいという人の熱気でやや興奮状態の中、やわらかな雰囲気を漂わせつつ、講師はにこやかに会場の中央へ。








 中尾さんは、用意された椅子には座らずに、畳の上に座って車座になるようにみんなを促して、話をはじめられました。

講演タイトルは、発見塾のメンバーの依頼で「八尾の活性化を考える―21世紀の八尾 この町のかたち―」というものでした。

深い人生経験と実績に裏打ちされた確かな視点をお持ちの中尾さん。さて、どんな話が聞けたのでしょう。

 <読みやすくするために、当日のエッセンスを、講師と司会との対話形式に直して紹介します>


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■ 「学びの時代」へ

 皆さんこんばんは。今日はお招きをいただいて、私の大好きな八尾でお話をする機会をいただき、本当にありがとうございます。

今日、私に与えられたテーマ、これは難しいです。

 お引き受けしたあとで、ずいぶん後悔しましたけれども、八尾が文化あるいは観光を柱として活性化をしていくためにはどうしたらいいか、ということだろうと理解をいたしております。


まずは、大きな流れから。この時代、経済はどんな変化をしているのでしょうか?


 さかのぼってみますと、20世紀の経済は、20世紀型とでもいいましょうか、製造業を中心として国も栄え、地域も栄えてきたわけです。

 しかし、21世紀型というのは、特に日本は、表現が悪いかもしれませんが、後から追いかけてくる国にだんだん仕事が取られていっています。

したがって、いつまでも従来型の製造にしがみついているわけにいかない。

 ですから、知識、情報、文化、そして観光というものを中心として、地域の活性化を図っていくというのが、21世紀型の経済と言われ始めているわけです。

すでに、欧州の歴史ある町々ではそういうことが一足先になされています。

 金沢もそうです。1980年代にグローバリゼーションの波が押し寄せてきて、中心的な産業であった繊維がどんどんだめになりました。

その倉庫を活用して、アート、ミュージック、ドラマですとか、いわゆる金沢市民の芸術村を造っていった。

 これは金沢らしいところだと思いますけども、芸術・文化の振興によって町民、あるいは市民の創造性を高めて、その基盤の上に先端的で多様な産業を生み出していく。

 これは新しく物を考え出す“創造都市”といえると思います。それがこれからの一つの大きな流れになっていくのではないか、と思います。


八尾町については、どのようにみていらっしゃいますか?


 八尾町でもいろいろな方がいろいろなことを提唱されています。

町の中心部の人口が減っていく中で伝統や文化を維持していくのは大変難しい、しかし、その古い町並みなどを利用して「現代のアート展示場」をつくるということ、また「民主導による通年観光の町づくり」ということ。

3日間だけの「風の盆」ではなくて、通年観光化にも取り組まれています。

 さらに「スロータウン構想」も提唱されています。こういうのが書かれている資料を読みますと、私がお話しするよりも、もう言い尽くされているのです。

要は、どのようにして実現していくのか。どのような人材がこれらの実践をしていくか。これが大事なのです。

 そういう意味で、皆さんの八尾発見塾の塾生、グループに大変大きな期待がかかっているのではないかと思うのです。


中尾さんご自身が、地域と手を結んで実践されてきたことも具体的に聞かせていただけませんか?


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 私は大山町(八尾町と同じく、富山市と合併)の開発に、かなり深くかかわってきました。富山国際大学を作りました。そして、わが社インテックの情報技術などを学ぶ研修所を作りました。この研修所は、国際会議も行われていますが、富山県内はもちろん、県外の皆さんにも開放しております。

 こういうIT(Information Technology)の研修所をつくったからには、バランスを取るという観点から、それに対応するような、日本の伝統的な技能・技術に着目しました。

大工さん、庭師、家具職人を専門的に養成する富山国際職藝学院を、仲間たちと作ったわけです。

 これは今、日本中から学生が来ております。さらにこの地区には、中高一貫教育の片山学園ができました。

私が30数年前に理念として掲げました「学び」というものを核とした地域づくりが行われています。まだ途上ですけども、私は一応成功しているのではないかと思います。

 また私の故郷である魚津の天神山にあった、洗足学園が出て行ってなくなりました。そこで、跡地を利用して「森のゆめ市民大学」をつくりました。

 これも「学び」ですね。私はやはり、これからは「学びの時代」に入ってきていると思うのです。そういうことを核にして、地域づくりを進めていきたいと考えているのです。


学ぶというのは、単なる知識の詰め込みとは違って、「わかる楽しさ」を味わったり、「変わるための気づき」を与えたりするものだと思います。気楽に「学ぶ」を「楽しめる地域」があればいいですね。

今のお話にありました大山町の職藝学院では、八尾町の大工棟梁もマイスターを務めておられるので身近に感じるところです。IT産業と日本の伝統がバランスを取るというのは、地域のあり方からも、日本人のこれからの可能性を考える上でも、大変重要なことだと考えます。

では、八尾町における可能性については、どのように見ていらっしゃいますか?

■交流を一歩進めて、「地域連携」で手を結ぼう

 私の経験からしても、地域交流は非常に大切です。人間が減っていく中で、交流をするには、交流を一歩進めて「地域連携」で手を結ぶのです。

連携を進めていかなければならない。それも具体的、継続的に、です。

お祭りを一度やる程度の連携ではだめです。共通のルールにのっとって、地域交流から地域連携を進めていく。これが地方の町のこれからの生きる道ではないかと思っています。

 そういう意味で、地域の理念・八尾町の理念が、どういう方向に行くのかを、みんなで共有できるようにすることです。

共通の目標を持たなくてはだめです。仲が悪くてはだめです。みんな仲良くして、一体になって、一つの共通の理念をみんなで生み出すことが非常に大事なのです。

その上で、独創性、自立性、継続性をベースにして、八尾の将来をみんなで見据えて、築き上げていくということだと思います。

 ドイツの都市連携というのは、とても見事です。行政の区域を超えて連携をする。そして、そこに観光街道を走らせる。

いわゆる観光文化の柱として連携が進められているわけですけれども、我々はこういうことを本当によく学ばなければならないと思います。


八尾における実践方法の具体的なヒントをいただけるとたいへんありがたく思います。


 手をこまねいているわけにはいかない。いろいろな提言ばかりしてもしかたがない。まず、小さいことからでもいいから、やっていかなければならない。

 たとえば、「八尾基金」というようなファンドを、つくったらどうでしょう。

富山市と合併して、人口は40万人を超えたわけですから、富山市民の皆さんも同じ市民です。ここから、広く広く、3000円、5000円、1万円と募るのです。お金のある人は一人10万円でも、時には100万でもいい。

「八尾基金」というものをつくって、その基金をベースにして、お金を生かして使う。そればかりでなくて、そのことによって八尾に対する愛着とか関心が高まってきます。この「八尾基金」をぜひ、つくっていただきたいのです。

 やはり八尾は、富山県でいちばん文化・伝統・歴史のある町です。

そういうことについて、研究の成果を持ち寄るとか、あるいは新しい提案を持ってくるとか、そういうコンペやコンクールをやって、「八尾賞」を作ったらどうでしょう。

そうすると全国から優れたアイデアや作品や成果が集まってくる。賞金はいくらか出さなければいけないですが、「八尾基金」から出せばいいのです。

そうすると、八尾町にたくさんの人が滞在する機会が生まれる。それは、風の盆のときでなくて、ほかの季節でいいです。

井波町(富山県。欄間などの木彫り職人の町)では、世界中の彫刻家を集めて長期間滞在して彫り上げてもらう国際イベントをやっています。

八尾賞もそのようなものにしていってもいいのです。

■文化が産業をつくりだしていく

 それから、私は最近いつも本当にそうだなぁと思うのは、「文化が産業を、逆につくり出していくのではないか」ということです。

八尾には和紙もあります。東京のほうへ行きますと、和紙など大変に売れています。あるいは、林業も農業もあるじゃないですか。

 アルト・ハイデルベルクという町がドイツにあって、私も大好きで、市長さんとも友達です。ここは古い歴史をもつ観光の町でしたけれども、これを基盤としてIT産業が周りに栄えていったのです。

そういう伝統や文化の魅力を訴えておいて、一方で新しい産業を誘致していくことだと思うのです。


そのようになればすばらしいですね。しかし、ことを起こすにはまず人が要ります。まず、機動力のある人たちが魅力を感じ集まってくるような働きかけも、必要ということでしょうか。


 そこで、これからの八尾の姿ですが、やはり文化・観光が柱であることは間違いないけれども、一定の人口を保っていかなければならない。

このためには、やはり工業団地も必要です。八尾の既存の工業団地にある技術と人脈をうまく利用していく。これからは、ユニークな企業が地方に出てくる可能性があります。

それから、見逃せないのが廃村の利用です。これを利用して、「学び」のセンターをつくる。

先ほどから私は、「学び」というものをキーワードにしているわけですが、たとえば宿泊施設を持った私どもの研修所は、200人ぐらい泊まれますが年間を通じてフル稼働です。

県下・県外の人が泊まってそこで学ぶ、研修をする。やはり、それは町のなかではだめなのです。人里離れて、あまり電話もかかってこないから、いいのです。

このような学びのセンターを、廃村を利用してやったらどうか。さらに、そういう中に手仕事があってもいい。何も工業団地でハイテクなものを作るばかりではないはずです。古い手仕事を復活させると、そこにまた人々が集まってくる。

 私は企業農業というのは、もっと受け入れていいと思うのです。私も企業として、農業をやりたいのです。今も20~30人農業をやっている社員もいますが、会社も農園を持つ。ドイツの農業というのは、農家で支えていないです、ほとんどサラリーマンが支えているのです。

だから、企業農業を受け入れる。ここからここまではA株式会社、こっちはB株式会社。そして、休日を利用して社員たちが農業をやる。自然の中では変なことは起きないです、子供たちも連れて行って一緒にやる。

土日に祭日、日本は意外に休みが多い。そういう休みを利用して、家族で企業農園に行って働く。富山の中心部からも遠くないのだから、それを八尾の一つの売り物にしたらどうでしょう。

 さらに、八尾は岐阜県に近いわけですから、飛越交流の要(かなめ)、キーとしての役割を果たしていく。こういうことを全部組み合わせていくことがいいと思います。

私は、「組み合わせる」ということが、大事だと考えています。


■子育ては地方の町で──そのための仕組みを

 八尾町は面積的にも大変広く、放置され荒れていく山間地も少なからずあります。今も山間地に残って頑張っている方々はいますが、とても維持できないのが実情です。流出していった人口の分を民間の力で補うことができるなら、山間地も本来の力を回復し、結果的に川も海もより豊かなものになっていくのですが。


 SOHO(Small Office・Home Office)というのがありますね。

これは小さなオフィスを持つ、あるいは自宅をオフィスにして仕事をすることで、ネットワークでも仕事はできる時代になってきました。

今まではふるさとに住みたいけれども、仕事がなかった。しかし、素晴らしい環境のなかでも仕事ができるようになる。

月に1回ぐらい、東京へ出て行けばいいということになりますと、そこに人が住みます。私だって本当にふるさとにいることができたらいいのにと、よく若いころ思いました。

八尾の町に住みたいという人もいる。現に戻って来る人もいるわけですから。そういうときに、そこにいても働けるような仕事やそのための仕組み・場づくりがポイントになります。

 たとえば、子供を育てるユニークな施設があるとか。八尾の何とかキッズホームへ行ったら、大変ユニークな子供を育てている。しかも、お母さんもみんな安心できる。

そういう施設を造って、「ここでなら子供を育てよう」「ここで育てたい」と思ってもらう。

そして、自分はSOHO、テレワークで仕事をしていく。そのためには、事前にITの勉強をしなくてはいけないから、研修所へ行って勉強して身につけてくるかという仕組みです。


 子どもたちがのびのびと遊んで育つ環境というのは、これからは宝となって行くでしょうね。


 自動車が幼稚園の子供の列に突っ込むという事故がありますが、本当にかわいそうです。そういう意味でいつも思うのですけど、通学の道というのは大事です。

 私は昔、通学するときに、3~4人の友達と横一列になって歩きました。今は縦に一列になります。ヘルメットをかぶって、一列になっておずおずと歩いている。あれは道ではない。

子供たちが小学校へ通うときも、道ばたに咲くタンポポを摘んだりできる、本当に通学だけの道。その道は、お年寄りやお母さんたちが井戸端会議のできる道でもあるのです、ちょっとした広場になっていたりして。

よくフォーラムをやるといっていますが、実はローマの言葉なのです。道と道が交差する十字路、広場のことです。そのフォーラムで昔、青年たちがディスカッションをしていた。そういう意味で、道というのは、本当はただ通過するだけでなくて、話をするところでもあったのです。

 私の通った村の道は自動車なんか来ないから、横になって、今日の学校のことや先生の悪口やら、卒業したらどうしようかとか、子供はどうやったら生まれるのだとか、みんな僕はその道で覚えたのです。

『猿飛佐助』なんていう本が家にないから、読んだ友達が教えてくれたり、いろいろな雑学の道なのです。そして、人間形成の場であり、友情の場だったんです。時には道でとっくみあいのけんかにもなりました。

そういう道、そういうものがある子供の教育施設。これはもう都会では望むべくもありません。やはり、これからの子育ては地方の町です。

 都会の中で、いつも車を心配したり、ナイフで無闇に殺傷するようなのが出てきたりというのではなくて、安心して子供を育てていける環境。

観光だとか企業だとかそんなことばかりでなくて、これも町の一つの柱にしていける。そういうことが、とても大事なことだと思います。


 八尾では、年間を通して地域の行事が多く、世代を越えた触れあいがありますから、今おっしゃった「雑学の道」がまだ残っていると感じました。いいものがいつまでも残されている"ふるさと"であって欲しいものです。


 うちの子供はちょっと精神的に疲れているから、みんなで八尾へ引っ越そうとか。

おじいちゃんも親戚も八尾だった、私にも八尾の血が入っているのだからと、都会に出て行った人たちが戻ってきたら、人口は増えなくても減らないです。

そういう「道」一つ考えても、地方の町はできるのではないのか。

 豊かな地域を作っていこうと、八尾では偉い人がみんな言っています。豊かな地域というのは、経済的に豊か、企業誘致して豊かということばかりではなくて、豊かな心を持った人がたくさんいる地域です。そういうことを我々はもう少し考えなければならない。

そのために、地域の人たちが仲良くしなければならない。八尾はそんなことはないと思いますけど、地方の町に行くと、けんかして仲が悪いです。そういうことがあっては、町が発展するはずがない。

仲良くするということは簡単なようだけど難しい。夫婦だって二人っきりなのに仲良くするのは大変なのです。

ですから、たくさんの人がみんな仲良くするというのは大変なことです。しかし、そういう仲のいい地域を作っていく。

 そして、心豊かになっていくには、自然を大切にしたり、いろいろなことを「学ぶ」ことです。この塾も、塾とつくからには学びです。そして、「学びのセンター」も作って学ぶ。

そうすると、みんな心豊かになっていくわけです。また、豊かなところに人々は集まってくる、きっとそうなると思います。

■ふるさとは帰っていくところ

nakao03.jpg ふるさとというのは、「遠きにありて思うもの」と室生犀星が言っていますけれど、私はそうではない。「ふるさとは帰っていくところだ」と思っているのです。

 私がいちばん好きな歌は「うさぎ追いしかの山」の「故郷(ふるさと)」という歌です。

すごくいい歌で、私が魚津へ行ってお酒を飲んでいると、みんながこの「故郷」という歌を歌うのです。

何で歌うのかと思ったら、数年前にだんだん分かってきたのですが、これを歌うと「中尾さん、夜遅いから、そろそろ富山へ帰られや」という合図だったらしいのです。

だから、今は私から、「おい、そろそろ『故郷』歌うぞ」と言って、「故郷」を歌うのです。

 この素晴らしい歌詞は、長野県出身の高野辰之の作詞ですが、以前、高野辰之が生まれ育った豊田村や飯山を訪ねたことがありました。

ちょうど野沢菜の菜の花畑が千曲川のほとりに真黄色に咲いていて、大変美しくまさに日本のふるさとという感じがいたしました。

前市長の小山さんとも親しくなりました。この自然環境なくして、あのようなすばらしい詩は生み出されなかったのではないかと思うのです。

 ですから、我々は豊かな町を作っていく、そうすると豊かな子供が育ってくる。

そういうふるさとを、皆さんでどうか力を合わせて作っていっていただきたいと願います。


「八尾ふるさと発見塾」に参加される人たちは皆、八尾をよりよい町にしようと思う人ばかりと思っています。ぜひ、参加者同士のネットワークも深めていきたいものです。


 それと、ビジネスの会を作られたらいいです。

零細であっても中小であっても、そういう人たちによる10人か20人の会です。

商売の皆さんも集まって、こういう塾のような会を作る、商売にかかわらずいろいろな人が集まってくる。そういう会がいくつかできるというのは、とても大事だと思います。

 この町のビジネスをどうしていくか、ということです。本当に自分たちの町にどういう商売をおこそうかということです。

先ほど述べた手づくりの仕事がある。和紙産業を興せないのかどうかとか、いろいろなことです。

今、世の中の大きな変わり目ですので、たくさんの商売が生まれてくると思うのです。こんなに可能性に満ちた時代というのは、僕はないと思うのです。

ですから、私は、何十と会社をつくってきまして、半分以上失敗していますけど、今からもつくり続けますが、やはりどういう場所にでも、そういう新しいビジネスの可能性が満ちている時代だと思います。

 そういう意味で、今まで経済活動をおやりになっている、商店をおやりになっているかた、卸屋さんのかた、農業もまた一つの事業だと思いますが。

そういう人たちが、いろいろな観点から八尾をどうするか、八尾の夢を語る。

そういう会があって、一方では歴史や文化、自然を考える発見塾のような会もある。

ぜひ、ビジネスの会もつくってほしい。ときには、それらを1年に1度ぐらい融合してみる。

そうすると、そこからきっと何かが、生まれ出てくると思うのです。


八尾町を動かす車の両輪ですね。 今日は本当に思いのこもったいくつもの提言を、ありがとうございました。



―――――――――――参考――――――――――
平成20年2月11日北日本新聞
「八尾町平沢地区休耕田生かし契約栽培」という記事がありました。
中尾さんのお話にあった企業による農業活動の一つに当たると思われます。

富山市の田中精密工業が、社員の福利厚生に役立てようと、大根二千本の栽培を契約したもの。栽培には、集落内の農家十二軒が全員参加。水やりなど普段の管理は交代で行い、昨年十一月の収穫時には農家以外の住民も参加して取り組んだ。
富山県は、この取り組みを参考に、新年度から意欲のある農村と企業や団体を橋渡しする「中山間地域保全パートナーシップ事業」をスタートさせる。