風の盆のおと

八尾(やつお)ふるさと発見塾

おわら風の盆の里 やつおの人と文化・歴史・自然の再発見

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おわら風の盆のおと

おわら節が流れる こころがなごむ ふるさと八尾

小さい頃から静かなおわらに馴染んできた八尾の住人にとっては、この二十年余、異常とも思えるおわらブームに圧倒され、最近では「風の盆」がやってくるのがおっくうにさえ思える・・そんな悲しい状態になっています。

けれども、大好きなふるさと八尾について、町を形作っている山や川や先祖が築いてきた町の足跡を、この「八尾ふるさと発見塾」で発見することで、目の前の現象だけにとらわれるのではなく、今までよりは少しこころの余裕を持っておわらや八尾を見ることができるようになるのではないかと思います。

おわらは、一年を通して八尾の人のこころに住んでいます。

四季折々に発見するおわらの表情を届けることで、またさらに八尾を発見し、心に新たな灯りをともしてみたいなと思います。

12月 ゆっくりと…

12月 ゆっくりと…

文/咲田 都
切り紙/あいか
写真/森人

十二月は二十四節気でいうところの「大雪」があって「冬至」があって、いよいよ冬本番だぞという月ですね。
高気密・高断熱を誇る冷暖房完備の施設に囲まれつつも、鍋料理やゆず湯などという言葉が恋しい頃でもあります。
少し昔の日本、木と紙だけで造られた家で暮らしていた頃はいったいどんな生活だったろうかと思います。

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八尾唄どこ おわらの出たとこ
           そばは名物 よい紙 たんとでる

おわらの唄と唄の間などで囃される 長ばやし の歌詞です。
「よい紙」とは当然八尾和紙のことを言っているのでしょう。
和紙は西洋紙に比べ繊維が荒くその分空気を多く含むので、障子戸に張ってもあたたかな感じがします。
しかも、陽射しを柔らかく通すので、やさしい明るさがあります。

八尾で和紙作りが盛んに行われていた頃、紙の原料となる楮・三椏などの木の皮は、薄く剥がされて、早春のお天気のよい日に、雪上に広げて晒していたと聞きました。
早春にあかるく降り注ぐおてんとうさまが、あたり一面の真っ白な雪に反射して目もあけていられない眩しい世界。
そこでは、不思議なことに、広げて並べられた木の皮からあくが抜けて、和紙にふさわしい白になっていくのだそうです。

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2006年2月に八尾・桂樹舎の和紙文庫で開催された発見塾より。和紙をもっている方は吉田桂介さん

最初にこのことに気がついたのは、いったい誰だったのでしょう。

トロロアオイという植物の粘り成分は、紙を漉くのに無くてはならないものだそうです。
この植物に限る! トロロアオイと出会うまで、人々はいったいどれだけの試行錯誤を繰り返したことでしょう。

最初に気づいた人はすごい!自然を観察する力に驚嘆します!
ちょっとした偶然の産物は、気が遠くなるほどの永い年月と人を介して、生活に便利なように少しずつ手を加えられ、さらに深められ洗練され・・・。
和紙に限らず、工芸品や建築や無形の文化にいたるまで、それらが現在のような形になるまでには、いったいどれだけの時間と人の手がかかわってきたのでしょうか。

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吉田桂介さんの師匠でもあった芹沢銈介による「和紙製作工程」を描いた型絵染

日頃何気なく使っているものたちが生み出されてきた過程を想像してみると、先人から連綿と時間を受け継いできていることに思い至り、
かえって人のはかなさを思うと同時に、大自然の恵みに謙虚に感謝したくなります。そして、悠久の時間が大自然とともに作り出す大きなうねりの中で刹那たゆとう自分を感じます。

今、暮らしはとても豊かになりましたが、ものや情報があふれて、価値観などもめまぐるしく変わり、理解に苦しむことがとても多い・・・、こんな世の中は何かが異常なのではないかと思えてきます。

もともと人間は、現代のような速いテンポの生活ができるように作られていないのではないでしょうか・・・。

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見たさ 逢いたさ 思いがつのる
            恋の八尾は オワラ 雪の中

雪が多くては郵便もそうそう届かない。返事も来ない。逢いにも行けない・・・というより、雪が積もると道の除雪や屋根雪下ろしで雪国の人は結構忙しいのですが。
メールがない時代は電話でしたが、それもない時代は、手書きの手紙が気持ちを伝える一番の方法だったはずです。

待って待って待ち焦がれるから、届いたときの嬉しさは何物にも代えがたい。何度も読み返して・・。
おわら風の盆も待って待って待ち焦がれていました、昔は特に。

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ほろほろと落つる涙を 茶碗に受けて お主に文書く 硯の水で
 どうしてどう書きゃ 真実まことが届いて いつまたご返事が オワラ 来るのやら 

せまいようでも 広いはたもと 
              海山書いたる オワラ 文の宿

和紙に想いを綴る・・・書かれた言葉と言葉の間に何かを探す・・・そんなゆっくりとした時間を呼び戻してみたいものです。

ですが、現実には、「このプリンター遅い!」とか文句を言いながら、高く積まれた年賀状の山をちょっと重い気分で眺めている人が多いであろう、今の日本はそんな十二月を過ごしているのでしょうか。


おわらに関する情報はこちらから。越中八尾観光協会

11月 おわらの中の竹の話

文/咲田 都
切り紙/あいか
写真/森人


十一月は、「文化の日」に代表されるとおり、日本文化の発表やら展示やらが日本全国津々浦々で開催される、文化の薫り高い月であります。
「文化」というのは「文明」と異なり、人間が作り上げてきた生活様式全てのうちの精神的活動に属するものであるというようなことが、辞書には書いてあります。
たとえば、文化の日の催し物の横綱格「お茶会」。湯を沸かす釜が文明とすれば、それを使って、お茶を飲むのが文化ということでしょうか。

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竹になりたや 茶の湯座敷の ひしゃくの柄の竹に
     いとし 殿御に持たれて 汲まれて 一口 オワラ 呑まれたい

かしこまって、正座で、足が痺れる! ちょっと敬遠され気味のお茶会も、おわらに唄われるとこんなにも庶民派になります。
竹つながりでこんな唄もあります。 

 竹の切り口 シコタン コタンや なみなみ チョンボリ ちょいと溜まり水
            澄まず 濁らず オワラ 出ず入らず

アイヌ語が入っていると聞いたこともあり、はっきりとしたことはよくわかりませんが、先輩方の話によると、次のようなことらしいのです。
竹やぶの中にはいると、切られた竹の切り口が太いもの細いものいろいろあって、水が溜まっているものもあります。その水もなみなみと溜まっているもの、少しだけのものとさまざまです。そして、濁ることなくまた、それ以上に澄むこともなく、竹やぶの中でそこにそうしてずっとあり続ける・・・というような。

ある日のお茶席で、切り出された竹が葉をつけたまま生き生きと飾られてありました。席主の方にその秘訣を聞いてみると、中の節を抜いて水を入れてあるとのこと。
すぐにおわらの歌詞が思い出され、中の水は濁ることなく、その竹の最後の命を支えているのだと思うと、その竹が急に身近に感じられ、愛おしくなりました。

竹は、昔から生活の身近にあって、日用雑貨をはじめ、さまざまな用途に使われています。水やお酒を入れたりしているところから、殺菌作用もあるのでしょうか。竹の皮で、おにぎりなど、食べ物を包んだりもしていますよね。

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おわらでは、胡弓の弓に竹が使われています。竹のよくしなる性質が好まれてのことでしょう。竹の弾力性が、寄せてはかえす、あの音の波を作っているのです。

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 竹の駒ができる順(左上から右下へ)

また、三味線や胡弓には、胴の上で糸をささえている「駒(コマ)」というものがあって、糸の響きを胴に伝えています。この駒は、象牙で作られていたり竹だったりその他にも材質はいろいろあるそうですが、演奏者の好みで、場所や気象条件などを考えて使い分けられます。

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八尾を代表する胡弓の名手だった伯さん(竹駒も弓もご本人の手になるもの)

竹駒の出番がどんな時か、具体的なことは、演奏者の感性でしかわかりません。しかし、たぶん、竹の持つ柔軟性が音に必要なとき・駒以外の物がすべて張りつめているときが出番です。その時まで、竹駒はケースの中で、静かに糸を支える時を待っているのでしょう。

竹にはさまざまな表情があります。
1日で1メートルほども成長する生命力。まっすぐな姿の中にあるたくさんの節。割られるときの潔さ。清々しい香り。風に答える葉ずれの音。雪の重さに耐えまた跳ね返す弾力性。加工しやすい柔らかさ。
生活のさまざまな場面で、日本人の感性を的確に表現するために、柔軟に対応し続けてきた竹。日本人の細やかな感受性・高貴な精神性からの要求にも答えられたこの植物との出会いは、日本が薫り高い文化を生みだせたことの一つの要因になったと思います。



おわらに関する情報はこちらから。越中八尾観光協会

10月 後の月 十三夜に寄せて

文/咲田 都
切り紙/あいか
写真/森人

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 おてんとうさま おつきさま と 親しみを込めて呼んでいた頃 宇宙と人間は一緒に生活しているという親近感があったように思います。
現代では、とても科学的に冷静に宇宙を見ていますが、今でもおてんとうさまは良いことも悪いことも全てお見通しですし、おつきさまは満ちたり欠けたりしながら 私たちのバイオリズムにも影響を与えています。

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 おわら風の盆は、二百十日に行われるようになって、おつきさまの満ち欠けがわかる旧暦とは無関係になりました。ですから、おわらの夜にまんまるなおつきさまが出るというのは何年かに一度、なかなかお目にかかれない情景です。
 その年の風の盆3日間、どんなおつきさまが出てくれるのか・・・
 おわらで唄われているたくさんのおつきさまのうち、どのおつきさまが今宵にふさわしいのか考えるのもおわらの楽しみの一つです。

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  ぽんと出た 別荘山から 出たでた月が
          おわら踊りに オワラ 浮かれ出た

 昭和の初めに作られた唄で、作者はおわらの歌詞で八尾の四季や八尾八景を作られた小杉放庵(こすぎほうあん)さん。
 八尾町を守るように鎮座する城ヶ山に大きな料亭がまだあった頃のお話です。城ヶ山ではよく宴があったようで、放庵さんも酒を酌み交わしつつおわらを楽しんでいると、むかい側の別荘山からおつきさまがぽーんと出てきて、それで、できた唄といわれています。
 ぽーーんと まあーるく唄うのがいいのでしょうが、なかなかに難しい唄です。浮かれ出るほど、楽しい宴だったのでしょう。そんな雰囲気も伝えたい唄です。

三日月は 痩せて出るはず ありゃ闇上がり 
夫れを気にして オワラ ほととぎす

 あまり唄われることはありませんが、古い資料にあったものです。病み上がりと闇上がり、粋な文句ですね。唄を聴いているだけではわからないと思いますが、唄っている人だけの愉しみでしょうか。

amigasaowara_15.jpg (写真は越中八尾観光協会提供)

   踊りつかれて 編み笠敷いて
            草を枕の オワラ 盆の月

 踊り子の人気を支えている編み笠。これを敷くなんてとんでもないと今では怒られるでしょうが、思う存分踊ってきた踊り子の満足感や、草の匂いや、秋の透明な月までもが彷彿とする唄といえます。 

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毎年、十月下旬ごろには旧暦でいうところの九月十三日がやってきて、十三夜になります。
旧暦では 七・八・九月の3ヶ月が秋でした。真ん中の八月の十五夜が中秋の名月。
秋の最終月・九月十三日は「後(のち)の月」といってこれも名月です。昔から、十五夜・十三夜の一方の月見を欠かすことを片月見といってよくないこととされてきました。けれども、何かと忙しくおつきさまと縁遠くなってしまった現代、せめて片方の名月だけでも眺めながら、おわらを口ずさみたいものです。


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9月 九月にお盆?

文/咲田 都
切り紙/あいか
写真/辰巳 功

   二百十日に 夜風邪をひいたやら
           毎晩 おわらの 夢みてならない

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 今年も二百十日のおわら風の盆が終わりました。
 八尾の人も、八尾を訪れた人も、みなそれぞれが自分なりの風の盆を過ごされ、思い出を噛みしめておられることでしょう。
記憶は人生を彩るもの。毎年やってくるおわら風の盆が、いつも違った顔を見せて人生をより一層豊かにしてくれます。
昔のおわらは、旧暦7月15日の盂蘭盆(うらぼん)に廻り盆として行われていたそうです。今の暦でいうとほぼ八月の中旬。梅雨が明けて、暑い盛りですね。

そもそも盂蘭盆とは、目蓮尊者(もくれんそんじゃ)の故事により行われているもので、供養によって受苦を免れた亡者たちが喜んで踊る状態を模したといわれるのが盆踊りです。毎月15日といえば、旧暦では必ず満月と決まっていました。八尾の祖先も、明るい月に顔を隠しながら踊っていたのでしょうか。昔は今ほど暑くなかったとしても、まだまだ残暑が厳しい頃。湿気を含んだ日本特有の夏の夜の廻り盆だったことでしょう。

いつの頃からか、盂蘭盆ではなく、立春から数えて二百十日の9月1日からおわら風の盆が行われるようになりました。二百十日は太陽の運行が基になったものなので、その日が毎年満月になるとは限りません。変更された頃には、もうすでに月に代わる明かりがあったのでしょう。
二百十日は、台風がやってくる頃の目安とされた日です。このころには、北の高気圧が張り出してくるため台風が日本に上陸しやすくなるのですが、反面、北の乾いた清々しい空気を運んできてもくれます。
この空気が、現在のおわらになくてはならないものとなりました。

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おわらに使用されている楽器はたいへんにデリケートなもので、野外で演奏するのにふさわしいかどうかは専門家ではないのでわかりませんが、湿度によって音質が左右されるのは間違いありません。

8月20日前後から、八尾町の11の保存会支部ではおわらの練習が始まりますが、夜になっても蒸し暑い日々です。しかし、どんなに暑い年であろうと、9月1日の夜になると、からりとした涼しい風が坂の町を吹き抜けます。この乾いた空気が楽器を振動させ、音を遠くまで運んでくれるのです。
この楽器の振動・音の響きは演奏する者の体に伝わり、人が楽器と一体になる不思議な世界へと惹き込んでいきます。この一体感は唄う人にも伝わり、興がのった唄が次々と唄われるようになります。こうなってくるともう踊りも太鼓もやめて聞き惚れるような、三味線・胡弓と唄の掛け合いが始まるのです。こんなふうに音を愉しむことができるのも、二百十日に変更になったおかげと言えます。

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しかし、最近ここに、今までとは違う新たな問題が出てきました。

町を流す演奏者は、音の振動を我が身に感じると同時に、締まって張りのある音が、軒を連ねた家並みに当たって、また跳ね返ってくる音にも包まれています。狭い路地ほど、その音が渦巻くようになります。ところが、この大切な路地が最近とても少なくなったのです。

私たちは八尾に住んでいるからといって、おわらのためだけに生きているわけではありません。生活様式も時代とともに変わっていきます。当然のことであり仕方のないことです。が、ここに拍車をかけるような観光化の波が押し寄せ、道は広くなり、建てかえられた家の前には車寄せがあったりして、かつての、道の両側に軒を連ねた、家並みに押しつぶされるような狭い道は本当に少なくなりました。
その結果、おわらの町流しをしていても、音が跳ね返ってくるようなことがなくなってきたのです。まして、観光客の多いこと。その昔は、深夜のお客さんはほとんど見かけませんでしたし、深夜のおわら流しを見ている人も家の戸口を開けて家の中からそっと見ていました。しかし、今は、道の両側にずらりと人が並んでいます。おしゃべりせずに静かにしておられたにしても、そこに人がいるだけで音は吸収されて跳ね返ってこないのです。

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時代や観光化の大きな波を止めることは誰にも出来ないでしょう。
でも、せめて知ってほしいと思います。
経済活動と引き換えに失うものが、いかに壊れやすくて取り戻せないものであるかということ。壊れやすいからこそ、それを伝えてきた人たちは、どれほど大切に愛おしく思っているかということ。そして、それが壊れていくのを見続けなければならない私たちのやるせない思いを。

  八尾 おわらを しみじみきけば
           むかし 山風 オワラ 草の声


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8月 まもなくです

文/咲田 都
切り紙/あいか
写真/辰巳 功、森 健二

 八月という響きとともに、せみの声が聞こえだすと、こころはもうおわらです。
夏、真っ盛りの時期でありながら、そのすぐ先にある初秋を思い、胸がきゅんと締め付けられる・・・八尾でおわらを愛する人なら誰しもが経験するのではないでしょうか。

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   月の出の坂を抜けゆく 涼風 夜風
             盆が 近いと オワラ ゆうて吹く

 おわら保存会の第三代会長が作られたもので、声のよい唄い手さんへ送られたものと漏れ聞いています。
この唄は、平唄といわれる7・7・7・オワラ・5文字の前にさらに5文字加わって、「五文字冠」(ごもんじかぶり)と呼ばれる形式です。おわらは、唄いだしが甲高いといわれていますが、「五文字冠」は平唄よりさらに高音になることが多く、良いのどの調子が要求されます。
 立秋を過ぎると、残暑が厳しい中にあっても、ある刹那、ふと秋を感じるときがありますが、それは、風の盆が近いと知らせてくれる風でもあります。

 八月も半ばを過ぎると、いよいよです。

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 八尾町の中にある 11の小さな町。それぞれの場所で練習が始まります。それは、公民館だったり、お寺だったり、空き地だったり・・・。
 子どもたちにとって自分よりも太いお寺の柱。その柱の外側に大きな踊りの輪を作り、おわらに合わせて踊るたび、青年団のお兄さん、お姉さんが柱の陰に隠れたり、見えたり・・。子どもにとってお兄さんたちは、目標の全てです。私も大きくなったら、大人の難しい踊りを上手に踊れるよう頑張るからと、こころのどこかにひそかな決意を秘め、素朴な豊年踊りを一生懸命、ちょっとお澄ましさんで踊ります。
休憩の時には、青年団めがけ、暑さを忘れて駆け寄っていきます。ぶら下がったり、抱きついたり、スキンシップのあらし。みんな一斉に話しかけて、「ねえ聞いて!」「こっちもきいて!」独り占めをしたい子どもの顔、顔、顔・・。親の目を離れたところで、少し大人の世界と接触して、親の知らない世界を知ったような気になったり・・。
 けれども、子どもの気づかないところで、親も町の大人もしっかり見守っているのです。

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 子どもの練習時間が終わって、町の大人たちに、もう帰って寝るよういわれ、一旦は帰るそぶりを見せながらも、路地の暗いところからあこがれの青年団を見つめて、みよう見真似で踊っているのは、思春期の頃の子どもたち。親が呼びに来て連れ戻されないかとどきどきしながら。

 小さな頃に思いをめぐらすと、練習風景が色あざやかによみがえってきます。

 そんな練習が十日ほども続くと、やがて、二百十日の風の盆がやってきます。
日中の町回りから競演会場の舞台、さらに夜の町回りも終わると、公民館前やお寺の境内などで輪踊りが始まります。何人もが合唱する「うたわれよ~」という囃子、昔踊ったそのままにバッチリポーズが決まったおじさんたち、家でお客さんの相手をしていたお母さんたちも自前の浴衣で登場して、誰に見せるわけでもなく笑顔で気ままに踊り初秋の夜が更けていきます。そして深夜になると、まだ物足りない大人たちが三々五々集まって、静かになった町へおわらを流しに出かけるのです。
子どもたちは、いつも見る保護者の顔とは違って自然体で楽しむ大人の姿を見たり、行事を取り仕切るやり取りを聞くなどして、おのずと社会の成り立ちというものを知ってゆくのでしょうか。地域に生きることの縮図が風の盆にはあったように思います。

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親子や町内会の関係は、昔と少し変わってきたかもしれませんが、おわらには、今も世代を超えたふれあいがあります。

    踊るも 跳ねるも 今晩限りよ

 九月三日の夜、町内の輪踊りでは、近所のおじさんが必ずこの囃子を囃され、子ども心にも楽しかった風の盆が終わってゆく一抹の寂しさを感じたものです。
 幸か不幸か、観光化が進み、このような一晩あるいは一瞬に凝縮された強い想いというものが薄れつつあることは、昔のよき時代を体験したものとしては、実に悲しいことではあります。


おわらに関する情報はこちらから。越中八尾観光協会

7月 とらえられない いなづま…そして…

文・写真/咲田 都
切り紙/あいか
おわらの写真/辰巳 功

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 旧暦ではまだ六月です。旧暦7月7日の七夕さまが梅雨明けの頃であったと思えば、今はまだ雨が続いてもさほど不思議なことではないのですね。

     お礼詣りは雷さまへ 
            心あかした オワラ 傘の中 

八尾町の画家、林秋路(はやしあきじ)さんの詩です。この情景を写されたような版画の作品があります。

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林秋路の版画集より(現在は、『越中おわら風の盆-林秋路版画集』が新装版として未来社から発売されています)

昔の和傘は今の洋傘より大きかったようですね、二人充分に入れます。しかも、二段開きになっていて、一人でさす時や風の強いときは半開きにできるようになっています。さらに、雨の日は薄暗いので、明るい色の紙で顔色を明るく見せる工夫もされていたと聞いたことがあります。

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    傘の骨は ちらばら 紙はがれても
         離れまいとの オワラ 千鳥掛け        

さて、雷さまは人の心を通わせてくれるだけではなく、もっと具体的な恵みも私たちにもたらしてくれているのだそうです。これは、あるナチュラリストの方に聞いた話です。
稲妻がよく見られるところの田圃は、稲の生育がよいとのこと。稲と相性がよいので「稲のつま(夫・妻)」で「いなづま」になったと言われているそうで・・。この科学的根拠は、いなづまによる放電で、空気中の窒素が多くなりそれが雨に溶けて田畑の肥料になるということだそうです。なんと!早い話が、天から肥料が降ってくるのですって!知りませんでした!

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俵屋宗達の「風神雷神図」屏風(国宝。建仁寺蔵・京都国立博物館に寄託)

美術館で、「風神雷神図」を見たことがありますが、改めて、あのユーモラスな雷神に感謝しなければなりません。いつも思うことですが、本当に自然というものは、とてつもなくすばらしいものです。 

この恵みの「いなづま」は「陽炎(かげろう)、水の月」とともに、目に見えてもとらえることのできないものの代表といわれることがあります。

おわらではどうでしょうか。とらえることのできないものといえば、それはたぶん一人ひとりの中にある幻の音、場面・・・。
風の盆の一瞬、上手下手ではなく、その場にある全てのものが一つになったと感じるような、心が震えるような、鳥肌がたつようなことがあります。もちろん、何十回となく風の盆を過ごしてもまだ出会えないという人もたくさんいます。しかし、もし、運よく・・もしかしたら運悪く・・出会ってしまったら、後はその幻をずーっと追い求めるはめになってしまうのです。

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「風の盆三日間、あーよかったと思える音(または唄)は一回も無かった」とここ何年もそんな声ばかりを耳にします。どんな瞬間を追い求めているのかわかりませんが、たぶん二度と出会うことはないということもその人にはわかっているのです。けれど、だからこそ、それを追いかけ、それに近づきたくてまた次の年、風の盆に出かけてしまうのでしょう。そして、出かけるための練習を毎日するようになるのです。

どこにもあるたかが民謡、盆踊りです。大勢の手拍子で合唱したりするおわらは、また格別な味わいがあって実に楽しいものです。お酒が入るとつい、おわらになるというのも日常的にある風景です。

されど、それだけでは物足りないとする人たちがせめてわずかの時間でもと 幻の音を求めて風の盆の町に彷徨いだします。今は無きあの町並み、今は聞こえぬあの音色・・。しかし、同じものを追う人が集まれば、もしかしたら幻が現実になるかもしれないと、毎年かすかな希望をいだきながら・・。

稲妻、陽炎、水の月、そして幻の音

    風の盆から 恋風邪ひいて
           夜毎 おわらの オワラ 夢を見る




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おわらに関する情報はこちらから。
越中八尾観光協会

6月 ほたる

文・写真/咲田 都
切り紙/あいか
おわらの写真/辰巳 功、森 健二


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松に焦がれて 鳴く蝉よりも
           鳴かぬ ほたるが オワラ 身を焦がす

都々逸にもあるような意味深長な歌詞ではありますが、やはり闇の中でほたるがうっすらと灯をともすと、なにやら妖しげな幻想的な雰囲気があたりに漂います。

    もの思へば 沢の蛍も 我身より 
           あくがれいずる 魂かとぞみる

平安時代には、和泉式部という人がこのような和歌を残しています。自分の魂が身体から抜けだして、さまよっているように見えたのでしょうか。

最近は八尾町でもあちこちで蛍が見られるようになりました。地域の方々が川をきれいに保つ努力を続けておられるおかげです。

盛りの頃には、たくさんの人が見に訪れるようになりましたが、ほたるは短い命です。車のライトを落とし、離れたところに車を止めて歩いて行くなど、できる範囲でほたると地域の人たちの思いに対して迷惑にならぬよう心がけたいものです。 

旧町から少し南の山間に入った仁歩地区に、「仁歩ほたるの里農村公園」があります。一度出かけてみてはいかがでしょうか。

<詳しくはこちらから→仁歩ほたるの里・農村公園LinkIcon

ほたるといえば・・
おわらの踊りのうち、女子の新踊りには、「蛍を追う形」があります。

新踊りは、日本舞踊家の若柳吉三郎(わかやぎきちさぶろう)氏が振り付けられたもので、舞踊譜にはっきりと「蛍」と書いてあるところが一箇所あります。

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吉三郎氏が、妖しい光を放つ「蛍」をなぜおわらに取り入れようと思われたのか、八尾の町に滞在され何を感じられたのか聞いてみたく思いますが、今となってはせん無きことです。

お座敷や舞台において、足袋裸足で踊られる日本舞踊の振り付けは、戸外へ出て素人が草履で踊ることになったとき、変化せざるを得なかったと想像されます。
その時点で、踊り子の手を揃えるために、覚えやすいよう意味づけが変化してきたかもしれませんが、吉三郎氏が舞踊譜に書かれた箇所だけは今も変わることなく「蛍」です。

一方、男子の新踊りは、農作業の形を取り入れたものといわれています。
鍬打ちや、石投げ、案山子など、見ている分には形もシャープで絵になるところがたくさんあります。

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しかし、実際に踊っている方は体力的にもかなりたいへんなもので、若い青年団が踊っているからこそ男らしさ、力強さが感じられるというものでしょう。

これら新踊りに比べると、旧踊りあるいは豊年踊りといわれるものは、実に素朴なもので老若男女だれでもが気軽に楽しめます。
風の盆に踊り明かすときは、旧踊りが一番でしょう、民謡とはそもそも素朴なものですから。

風の盆の時には、深夜を過ぎると、連日の疲れと寝不足で、ボーーッとして、それでもおわらが聞こえると、無意識に踊ってしまうというような状態になります。

うまく踊ろうという気負いや、誰かに見せようという思いから解き放たれたとき、その時こそが、踊り子の至福の時でもありましょう。
願わくば、その視野の中、道の両側に寝袋にくるまった観光客などいませんように・・。車のライトが光りませんように・・。

息を詰めて静かに流すその先には、ただ闇があるだけですが、実は家々の中にある目が耳が優しく厳しく、流し行くものたちを包んでいます。

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冬には雪流しをした、そして春には曳山を曳いたこの通りで、この町で、毎日顔を見るあの家のじいちゃんが、友達の家のあのおばちゃんがきっと布団の中でおわらを聞いている、そして未来の踊り子たちが窓を少し開けて見ているかもしれない・・。

八尾に住んでおわらを奏でるものと見守るものの一体感があたりを支配し、そこにはもはや、振付けられた踊りの形も意味も何もないのです。

あるのはただ、住み慣れた町にひびく単調なリズムと、いつもの聞き慣れた声が唄う聞き慣れた旋律、そして、それに合わせて動かずにはいられない自分、それだけです。

    唄うて通るに なぜ 出て会わぬ
            常に 聞く声 オワラ 忘れたか



おわらに関する情報はこちらから。
越中八尾観光協会

5月 初夏の花

文・写真/咲田 都
切り紙/あいか
写真/森 健二

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 毎年5月3日、下新町(したしんまち)にある八幡社の春季祭礼として曳山祭りが行われます。その日の朝、六町の曳山が聞名寺(もんみょうじ)に勢揃いする様はまさに豪華絢爛。

立派な彫刻は言うに及ばず、五月晴れの空を背景に、曳山の赤茶色い屋根、瓔珞(ようらく)の金、お寺の屋根の緑青、そして、その奥に見える芽吹いたばかりのやわらかな新緑が一体となってみごとな色のハーモニーを見ることができます。


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それは、江戸時代の先祖たちもきっと眺めたに違いない景色。

やがて、錦絵さながらの曳山は、江戸時代からの木を軋ませながらゆっくりと町の中へ曳き出されて、祭りの日が始まります。


  祭り曳き山 業平小町(なりひらこまち・上新町、東町の神様)
         城ヶ山では オワラ 花ざかり


  あがれ提灯曳山(ちょうちんやま) じょうげの坂を
          上りゃ八尾の オワラ 夜が明ける

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 春のうかれた気分は、この曳山まつりで一区切り。間もなく青葉若葉が山を被い、鳥がさえずり、八尾の町は一気に初夏へと向かいます。

一年で一番さわやかな、本当にいい季節です。この 風薫る季節、「薫風(くんぷう)」などという風流な言葉もありますが、草花も過ごしやすい時期と見えて、百花繚乱!百花の王・牡丹を初め、藤、桐、菖蒲、てっせん、手鞠、アザミ、くちなし、都忘れ、ギボウシ、蔓桔梗(つるききょう)、競うように咲き始めます。・・・なぜか 紫の花が多いような気がしませんか?


おわらに詠まれた紫の花と言えば桐の花。


誰に思いの 紫 染めた
          五月 八尾の オワラ 桐の花 


「想い」と「紫」がどんな関係にあるかというと・・・。

「紫の花一本があるゆえに、武蔵野の原野全体があわれに思える」というような意味の和歌から、紫色はゆかりの色=縁の色といわれ、人の縁(えにし)をたとえるものとして大切に扱われてきたということです。

それで「想いの紫染めた」、人を想う桐の花・・。 

「五月」を ごがつ と言うか さつき と読むか、唄う人次第ですが、みなさんはどちらが好きでしょうか。作者である佐藤惣之助(そうのすけ)さんは、どちらのつもりだったのでしょう。どんなふうに唄われるか楽しんでおられたのかもしれませんね。

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八尾の地名には「桐」が使われているところもあります。昔の桐山村、今も親しまれている桐山峠・・。「見送りましょうか 峠の茶屋まで・・・」と 囃子ことばにある峠は、この桐山峠のことと聞いています。

長唄にある紫の花は藤。

 若紫に十返り(とかえり)の 花を現す 松の藤波・・(長唄 藤娘より)


八尾では旧町中心部の町並みをほんの少し外れただけで、松の大木に絡んだ藤蔓に花房がたわわに付いていて、濃い緑に淡い藤色の「松の藤波」がよく見られます。絡まれた方の大木にしてみたら迷惑な話でしょうが、この様子を引用した慣用句がありました。

「男は松、女は藤(女は男を頼みにして生活するもの)」

 今ではまるで奇跡のような?女は「男の人を頼りにしている」という風情が、おわら踊りの男らしさ・女らしさに見られるとかで、おわら踊りが人気を博しているようです。

たしかに八尾町では、いくら笠で顔を隠していようとも、女が男踊りを踊るなどということは決してありません。力強い男踊りは、若い男子青年団のもの。羽二重の法被(はっぴ)がスリムなたくましい身体をしなやかに包んで、かえって男らしく見えます。

 八尾の行事はおわらだけではありません。春には、あちこちで獅子舞があります。旧町の一部でも曳山とそれを先導する獅子舞があります。

獅子頭をまわす、あるいは山車を曳く力強さ、その一方で笛吹く、三味弾く、胡弓ひくそして唄う繊細さ。八尾の男性は、たくましく・やさしく、そしてまた忙しいのです。

 一方八尾の女性においては、踊りの風情そのままに、「いずれあやめかかきつばた」、   「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿はゆりの花」みたいな人が多くて、「男は松 女は藤」  みたいに生活している。・・と信じたい人が、おわらファンの中にはたくさんいらっしゃるでしょう。

実際のところはどうなのか、住んでこそわかる八尾のあれこれ。住んでこそ都!!


   八尾山町 谷間の町に
         そっと来て散る オワラ 桐の花

今年の曳山祭りのレポートはこちらから。
やつお暮らし・四季のおと;5月4日LinkIcon

4月 城ヶ山の桜

文・写真/咲田 都
切り紙/あいか

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城ヶ山公園は桜の名所。近年は特に整備が進んで、みごとな景観です。

遊歩道に沿って植えられたソメイヨシノはもちろん綺麗ですが、八重桜もたくさんの種類が植えられていて、長い期間に渡って桜を楽しむことができます。

「御衣黄(ギョイコウ)」という名の、花の色がいわゆるさくら色ではない桜の木もあります。

淡い緑色から時間とともに赤みを帯びたものに変わっていく、派手ではないけれどもまたひと味違った風情のある桜で、ソメイヨシノからは半月、長くて1ヶ月ほど遅れて咲くようです。

公園中央の小高い「駒利山」には、山桜があって、茶色がかった赤い細かな葉とともに小振りの花が咲くので、遠目には華やかな風情です。

どんな桜なのかと思わず近くに駆け寄ってみてはじめて、葉っぱがこんなにも美しかったのかと驚かされます。

ソメイヨシノもきれいですが、山桜はやはり遠い昔から愛でられてきただけあって、ひときわ心にしみ入るように思われます。

   花を見よなら盛りを見やれ
            桜夕日の オワラ 城ケ山

小杉放庵(こすぎほうあん)さんが、八尾八景をおわらに詠まれたとき、「城ヶ山の斜陽」として作られたものです。

旧町の向こうにある西山に夕日が沈もうとするとき、朱をおびた光が城ヶ山の桜を色濃く映し出して、見る者をも桜の色に染めていきます。

見下ろせば、旧町の家の瓦には早くも夜の帳が降りようとしている・・。自然の雄大さと人間の精一杯の営みが、同時に存在する不思議を目のあたりにする「城ヶ山の斜陽」です。


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  花をみたよな 覚えはないが
        たしか酔うたは オワラ 花見酒

八尾町の林秋路(はやしあきじ)さんがつくられたというこの唄。

まさしく花より団子といった感じですが、実は秋路さんは八尾が誇る画家で、花は心の目でしっかりと見ていたにちがいありません。

秋路さんは、明治に生まれ、大正・昭和を生き抜いて日本画や版画を多く製作されました。

なかでもおわらの踊りを題材にした版画は現在でも色紙になり、商品のデザインになりして、八尾町の多くの人々に愛されています。

その世界はまさに八尾のおわらそのもので、なんともいえない懐かしい雰囲気で私たちを包み、素朴な世界へと誘ってくれます。

飾らない人柄であったのでしょうか、作品からは素朴な民謡のあるべき姿が語られているようにも思われます。
(秋路さんの作品は、観光会館と坂の町美術館で見ることができます)

  どうせ濡れるなら 桜の雨に
       花のしづくに オワラ 酔いながら

秋路さんと同じ時代で同じく八尾町の小谷契月さんの唄です。

春のおぼろな、けだるい、どこかうかれた、艶のある・・、とうてい言葉で形容しきれない深い唄のように思います。

このような唄は、九月の風の盆にではなく、花見の頃に唄われてこそ、かいがあるというものでしょう。

こんなすてきな唄があれば、「花を見たような覚えはな」くとも、最寄々々で集まって一献酌み交わさなければ、春が終わらないような気分になってくるのも当然ですよね。

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和歌や俳句のたしなみはありませんが、おわら節というものが身近にあったおかげで、無意識のうちに多くの美しい日本語と触れながら生活してきたように思います。

幾重にも世界が広がるような情緒豊かな唄がたくさん伝えられていることが、おわらに係わる人たちの心をつなぎ、また豊かなものにしてくれているとありがたく思っています。

そして、八尾に生まれ育ったことの幸せをしみじみと感じています。

  放庵のえらびし八尾八景の
           なかにあるべきわが身ともかな  吉井勇



おわらに関する情報はこちらから。
越中八尾観光協会


3月 スプリングエフェメラル 春の妖精

文・写真/咲田 都
切り紙/あいか
写真/森 健二

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弥生三月、いよいよ土の中の虫たちも動き出します。

春分の日も間近となって、八尾の山々から解け出した雪が清流となって川にそそぎ、生命が動きはじめる頃となりました。

    雪の立山 ほのぼの明けて 
            さとの野山は オワラ 花盛り

北アルプス連峰・立山は、古くから神が宿る山として崇められた山々で富山県人の誇りです。

また、八尾の地下水は立山からの伏流水といわれ、遠く離れた山であるにもかかわらず、気持ちの上ではとても近い恵みの山、信仰の山としておわら節にもよく唄われています。

雪の立山を遠くに望みながら早春の里山を散策してみましょう。

日当たりのよいところなら、土筆が出ています。スプリングエフェメラルが咲いています。
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カタクリ、ショウジョウバカマ、ヒトリシズカ、カンアオイ・・。木々の芽がほころぶ前、春の日差しがまだ林床に届いているほんの短い間に花を終えていく植物たち。

早春の森につかの間現れた儚い妖精、「スプリングエフェメラル」という何とも愛らしい響きで呼ばれている植物や動物たちです。

あまりにも短い花の命をつなぐために、小さな虫たちも体中花粉になりながら懸命に動き回っていることでしょう。

春は花、秋は紅葉と、鮮やかな色で私たちの目を楽しませてくれる華やかな植物たちも芽を膨らませて開花の準備に余念がありません。

近頃は花粉症の原因として、あまり快く思われていない杉をはじめとする常緑樹たちも、花粉をいっぱい身につけています。


   花や紅葉は 時節で色む
        わたしゃ 常磐の オワラ 松の色

唄いやすいこともありよく唄われる唄で、表面的な意味のほかに「松」と「待つ」を掛けて「心変わりせずに愛しい人を待っている」という意味も込められていると思います。が、最近もう一つのことに気が付きました。

松や杉などのいわゆる「裸子植物」たち、甘い匂いの花で虫を呼ぶこともなく、また、おいしい実で鳥を呼ぶこともなく、花粉を運んでくれる風が吹くのをただひたすら待っているのです。稲や麦も同じタイプだそうです。

自然のなすがままにまかせ、地味で目立たぬ花を付け、なんと辛抱強くけなげなことか。「松」自身も「風を待つ」生き物だったのです。八尾の人も「九月の風を待つ」人たちですが・・。


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   のどかなる 春の野道に手をとりあいて
           主に こころを オワラ つくづくし

寒かった冬が過ぎてみると、雪を降らす空をあんなに恨めしく見上げたことも忘れ、解けていく残雪に名残惜しささえ感じてしまいます。

こんな季節の変わり目は、何故か人に優しくなって、「こころ つくづくし」の言葉をかわしたくなりませんか?陽気に誘われ、用もないのに春の野道を歩いてみたくなりますよね。

きっと、そこここにスプリングエフェメラルたちが精一杯の花を咲かせ、精一杯に動き回り、訪れるものを優しく迎えてくれることでしょう。

森や林の中だからこそ、春の妖精もあらわれる・・。そのことはまるで、八尾のまちで唄われるからこそおわら節なのだ、と私たちに語りかけているようにも感じられます。


おわらに関する情報はこちらから。
越中八尾観光協会

2月 梅は咲いたか桜は?

文/咲田 都
切り紙/あいか
写真/押切 基之

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寒中、まだまだ風が冷たい頃に咲くのが梅の花。

百花に先駆けて咲くため、生命力の象徴として縁起のよい花といわれていますが、八尾での開花はもう少し先の話です。

桜が今のような絶大な人気を誇る前は、「花」といえば「梅」をさしたとかで、おわらでも梅の花がたくさん唄われています。

  来る春風 氷が解ける
         うれしや 気ままに オワラ 開く梅

この唄は、一頃とてもよくうたわれていたようです。もちろん今もそうですが・・。

下の句の「うれしや気ままに」は八文字ありますが、普通この場所は七文字が一般的です。したがって、唄い方に少し変化が必要になってくるので、唄う人によっていろいろな表情を見せてくれる歌詞のひとつといえます。

この唄を聞くと思い出すのが、

   袖ひじてむすびし水の こほれるを
           春たつ けふの かぜやとくらむ 

という 有名な和歌です。歌詞から受ける情景に似たところがあるので覚えてしまった歌です。もちろん、庶民的な唄と、格調の高い和歌という違いはありますけれども。

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「梅に鶯」とて、いかにものどかなうぐいすの唄もあります。

   殿まと旅すりゃ 月日を忘れ
            鶯啼くそな オワラ 春じゃそな 

わがふるさと八尾町は、たいへん自然豊かなところです。

おわらが全国ネットでテレビ放送されるときは、旧町の昔ながらの街並みばかりが映し出されますが、その街並みを一歩踏み出すと豊かな山と川が町を囲んでいるのがわかります。

春、鶯も鳴きます。解けたざら目の雪の下にふきのとうも顔を出します。

つくしのおひたしって食べたことありますか? 

わらび、ぜんまい、うど、こしあぶら、かんぞう・・・・ああ待ち遠しいですね。春の山菜が目にちらつくようです。それを届けてくれる山菜名人の顔がもっとちらつきます。

もちろん山菜ばかりではありません。町の近くには、赤紫のじゅうたんを敷いたように、一面カタクリの花におおわれる所もあります。

そこは、わが「八尾ふるさと発見塾」のメンバーが中心となって、下草刈りをしたり、倒木を運び出したり、数年前から整備を始めたところです。

林の中に入り、植物や虫たちからもらう自然の空気の心地よさ!是非足を運んでみてください。そして、里山再生の活動にも参加してみてください。

きっと自然と直接触れあう楽しみにはまってしまうことでしょう。

さて、梅の花もいつかは実になり、果ては梅干になってしまったということで、こんな風な唄もうたわれています。

   梅干の種じゃからとて いやしましゃんすな 昔は花よ
             鶯とめて 鳴かした オワラ こともある

いつまでも、きれいなハリのあるお肌ではいられない。みんないつかは梅干の種のようにシワシワとなりますが、そのかわり、いろいろな思い出が心の中にパンパンに詰まっている、それだからこそ人間なんですよね。

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越中八尾観光協会

1月 八尾の七福神

文・写真/咲田 都
切り紙/あいか

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<元日の八幡社>

青海の波に 浮かびし宝船には ありとあらゆる宝を積んで
      恵比寿 大黒 布袋に毘沙門 弁天 寿老人 オワラ 福禄寿

ただ覚えようとしてもなかなか覚えられませんが、おわらで唄うと、自然に覚えてしまう七人の福の神様。
昔から、お正月に宝船の絵を枕の下に入れて寝ると良い初夢が見られると云われています。宝物を積んで七福神が乗っているから宝船というんだそうですが・・・。

七福神のうち、恵比寿さま・大黒さまは、八尾の八幡社春季祭礼で曳かれる山車に鎮座する神様、また寿老人は山車の大彫りに描かれている神様で、なじみの深い神様たちです。
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因みに、西町の山車の、神様が恵比寿さまで大彫りが鹿を連れた寿老人です。西町では恵比寿講といって、旧暦の十月二十日ごろ家々の恵比寿さまにお供え物をするなどして、特に大切にしているそうです。 

さて、年の初めなのでおめでたい宝船に関連したお話です。

邦楽・長唄の中には、「大薩摩節(おおざつまぶし)」というものがありますが、この「大薩摩節」の特殊演奏を八尾で聞く機会がありました。

長唄の三味線の先生の演奏です。三味線は、おわらのおかげで身近にあるものだけに、かえってその演奏方法の多彩さに感動しました。

なんという表現力豊かな楽器なのかと!もちろん演奏者がすばらしいからなのですが。

この「大薩摩節」を始めたといわれる「大薩摩主膳太夫(おおざつましゅぜんだゆう)」が登場するお芝居が歌舞伎の中にあります。

ご存知の方も多いと思いますが、市川団十郎家・歌舞伎十八番のうちの「矢の根」というお芝居で、その中ではとても大切な小道具として「宝船」の絵が使われています。

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<「矢の根」のシーン;歌舞伎事典HPから>

あらすじ・・といっても、筋はないような単におめでたいお芝居というものですが・・・
曾我の五郎(そがのごろう)が、父の敵を討つため矢の根を砥いでいます。

そこへ正月の年始に「大薩摩主膳太夫」が来て、お年玉に宝船の絵を置いていきます。五郎はよい初夢を見ようとその紙を枕にしいて寝ますが、夢に兄の十郎が現れて敵の館に捕らわれたことをいいます。

目を覚ました五郎は、通りがかった馬子(まご)の馬を奪って十郎を救いに行くというお話しです。(登場人物たちの時代背景は全く関連がありません。歌舞伎の特色の最たるもの!)

お芝居の中にはお正月料理の名前や七福神に関した台詞などもあって、お正月ならではのお芝居ともいえるようです。

おわらでは、このほかに次のような唄がお正月やおめでたい席などで唄われるようです。

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飲めや大黒  踊れや恵比寿 
亀の座敷に オワラ 鶴の声

鶴の一声といいますが、唄い出しが甲高く、最近は合唱よりも独唱の方が多くなったおわら節は「鶴の声」というのにふさわしいかもしれません。

大黒や恵比寿に対しては、飲めや、唄えや、囃せや、踊れや・・その場の雰囲気で何でもいいように思われます。

    さした盃 中見てあがれ
           中は鶴亀 オワラ 五葉の松

おめでたい言葉はこれらのほかにもたくさんあります。

松竹梅・蓬莱・末広・飛翔・瑞雲などなど・・・ 七・七・七・五という、日本人が大好きなリズムに合わせて並べていくだけで、唄になってしまうことも!

お気に入りの言葉を並べて自分だけのおめでたい唄を作って唄ってみるのも楽しいものです。

おわらに関する情報はこちらから。
越中八尾観光協会